イタリア3日目
昨日は、コロッセオ、とフォロ・ロマーノ、パラティーノ、
今日は、バチカンと巡りました。
その遺跡や美術達の素晴らしさはもちろんですが
美術品や遺跡に圧倒されて、なんなら酔う・・・
ので、
帰ってきて
ご夫婦達との対話、もてなしが楽しくて
居場所のように、ホッとしています。
今日はお孫さんと、柴犬がいました。
名前は「きいろ」というそう。
普段は吠えるらしいけど
「私が日本人だから吠えない!」と
夫婦がびっくりしていました。
夜に庭でお話し
観光の帰り、滞在しているアッピア街道の宿に向かうバス停の前に
「クオ・ヴァディス教会」がありました。
アッピア街道とは、現存する道の中で最も古いとされ、
キリストの処刑後、弾圧が強くなったローマ
一番弟子の聖ペトロがローマから逃げようと
アッピア街道沿いを南に向かっていると
十字架を背負ったキリストの幻が出てきて、驚いた聖ペテロが
“Domine, quo vadis?”:主よ、どこへ行かれるのですか?
と聞くと、キリストは
「ローマの市民を助けるために、もう一度十字架にかかりにいく」
というので、
逃げようとした聖ペトロは改心し、ローマに戻り
結果、皇帝ネロから、
逆さ十字にかけられて殉教しています。
(その場所が、サン・ピエトロ大聖堂)
そのキリストが幻視として現れた場所にある
クオヴィダス教会。
とても質素でしたが、落ち着く場所でした。
〜〜
でも、ホストのpioは、
仏教関連の本をたくさん読んでいるから
カトリックだけど
最近は、教会に行っていないのだそう・・
私とは逆だけど通じるところがある。
仏教徒のはずが、
自然を愛するアッシジのフランチェスコに惹かれて、
アッシジに行く私。
キリスト教なのに、仏教の
自分の内面の仏を大切にする生き方が好きで
教会に行かないpioさん。
ブッダも、フランチェスコも
どちらも自らを宇宙の一部として、
内省して、内なる善の部分で生きようとする姿に
惹かれているのかもしれない。
きっと、本質的なことは変わらない。
もっともっと言葉での
正しいコミュニケーションができればいいのに
Google翻訳に頼り過ぎて
多少なりとも学んだ、イタリア語を
話していないことに気づく
もどかしい
次なる課題が見えてきた気がする